「植木に口付け」・夜襲期間限定ブログ
個人的に、葵好きのあさひろさんに捧ぐ。勝手に。
埋めていいですよ!(いい笑顔で)
葵かっこいいよ葵っていういきおいで書いたけど実は葵葛なんだぜ! っていうね!
BGMは椎名林檎嬢の「三文ゴシップ」の中から、「密偵物語」、「カリソメ乙女」、「都合のいい身体」です。
----
"咲く、蘭" SAKURAN・上
「それで? 明日は?」
三好葵は色のついたYシャツをはおりながら、彼女に尋ねた。まだベッドにいる彼女は妖艶に微笑んで首を横に振る。
「駄目。明日は仕事だから」
その言葉を聞き、ボタンをとめる作業を途中で放棄して、化粧台の前の椅子にどっと腰をおろす。不満げな表情を作り上げ、そんなぁと鼻にかかった声を発した。
「じゃ、仕事が終わった後は? どこで仕事?」
彼女は母親が子供に向けるような、そういう微笑に切り替えて、ある街の名前を出した。
「知ってるでしょ? 遠いから、駄目。明日は会えないわ」
「そんな危ないところで仕事してるの? なら迎えに行くよ」
「本当、子供みたい」
彼女は布団をかぶると、その中でくつくつ笑った。一瞬、葵の顔から表情が消える。それも束の間、彼女が再び顔を覗かせたときには、葵らしい爽やかな笑みが戻っていた。彼女はまだおかしそうにしている。落ちてきた黒い髪をかきあげ、ふふと肩を縮める。葵はベッドに近付き、彼女のそばに手をついて、その整った顔を覗き込んだ。
「わかるだろ。君に会えないことがどれだけ悔しいか」
少し低めに発した葵の声に、彼女の微笑は、再び妖艶なものに戻る。大人の女性特有の、色っぽい微笑。これが自分が向けられているのだ、なんて贅沢なのだろうと考えつつ、彼女の反応を待つ。ベッドの中から手を伸ばし、葵の茶色い髪に触れた。
「わかってるわよ」
その手をとって、手のひらに唇を落とす。彼女は再び笑った。
四君子堂写真館に戻ると、葛がちょうど現像室から出てきたところだった。現像の定番スタイルとなっている黒いエプロンをつけた葛に抱きつき、疲れた、おなかすいたと欲望赴くまま言葉を投げる。現像室は締め切っているためにかなり蒸す。六月に入って、葛もシャツの袖をまくるようになった。首筋から僅かに汗の匂い。それに、安心した。自分の体からは彼女の甘ったるい匂いがしていたから。
葛は視線をテーブルに向けた。それを追うと、テーブルには風蘭が持ってきた中華料理が乗っていた。わーいと両手をあげて離れた葵の手を、葛が掴んだ。
「手を洗ってこい」
「……わかってるよ」
はじめはろくに返事もしてくれなかったが、最近は話し掛けてくれることも多くなった。その中身は大部分、小言だが。思わずははっと苦笑いが漏れる。
手を洗って戻ると、葛はエプロンをはずし、テーブルについていた。葵はテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろした。相変わらずハイクオリティな料理に早速手をつける。
テーブルの真ん中に置いてあった包子の山から一つを、葛が手にとった。
「別に寝ててもよかったのに」
今日も遅くなってしまった。
「現像していた。問題はない」
「あっそう?」
にやりと笑うと、葛は視線をそらした。
「そうそう、取引は明日みたいだ。場所は――」
彼女から聞いたスラム街の名を、口にする。葛の視線が葵に戻る。
葵は現在、某革命家の愛人から情報を入手する任務についていた。たいして大きなグループを持っているわけではないが、過去の活動のパイプがまだ生きているようで武器の大量購入の噂がたっていた。その取引場所を愛人を通して聞き出すのが、葵の任務だった。
その活動家に随分寵愛されているらしい、いつでも重要な場面には彼女を連れていくのだった。ついていくのを仕事と言い、葵と付き合ってくれるところから、彼女の活動家への愛は察することができる。
だが人のことは言えない。
葵が今行っているもの。
それは。
恋人ごっこだ。
葵は少し離れた場所にあるスラム街の名を告げた。その瞬間、僅かに彼の笑みが変容し、葛は彼を見つめた。
「嘘じゃないって」
「わかっている」
「じゃあなんでそんな見てくるんだよ、葛?」
肩すくめた拍子に、甘い匂いがした。葛は無言で顔をそらした。ついでに包子を口にした。
任務の話はそれきりに、葵は他愛もない話を始めた。それがいつもより必死なように思えた。沈黙が嫌いなのか、彼はたまに無理やり話を始めることがある。葛は沈黙が嫌いではなかったのでさほど気にしなかったのだが、葵にとっては違うらしい。いらぬ気遣いだと思った。
その必死が気になって、少し会話に付き合う。内容はないに等しかった。何を話しているのだろう、自分は。
くだらなく感じてふと顔をあげて、彼の隠しきれない疲労の色に目を見張った。それを隠そうと彼は話を続けていた。ただ言葉を並べていた。彼は今、沈黙を嫌って話しているのではない。会話の止まった空間で違うことを考えるのが嫌なのだ。自分のうちの疲労に気付きたくないのだ。おそらく、無意識のうちに、そうしている。
「ああ」
葛は彼の意味のない音に、頷いた。
自分と違って何事も明るい面を見ることができ、飄々と生きることのできる彼が、何に疲れているのか。思い当たるのは、彼の行う任務だけである。彼はそれから帰ったばかりだ。
自分には到底こなすことのできない任務に、彼は自ら手をあげた。
「そういうのは得意ですよ?」
と、得意気に笑った彼を覚えている。言葉通り、彼は今日、情報を持ち帰った。
愛人である女性に何をしたのか、何を言ったのか、まったく想像がつかない。だがおそらく、女性と何かしら親しい関係になったことは間違いない。急に気になる、あの甘い匂い。
思い出した。
あの笑み、僅かに変容した、あの表情。あれを見たことがある。確かそれは、そうだ。
あれも沈黙に耐えかねて彼が言ったのだった。
はっきりとは言わなかったが、自分は婚約者を亡くしたのだと。そこから何を話したのだったか忘れたが、ともかく一瞬、彼はそのようなことを口にしたのだ。
あの時の微妙な歪み。あれだ。
婚約者を亡くした男の、恋人ごっこ。
「……喋るか食べるか、どちらかにしろ」
任務をやめろとは、言えなかった。
そんな自分が葛は嫌いだった。
沈黙と比べものにならないほど。
PR
コメントを書く