「植木に口付け」・夜襲期間限定ブログ
第二話。
一応、葵をかっこよくしようと頑張っているつもりです。
葛たんは最後のほうにたくさん書くから、あんまり書いてない。
ほぼ一発書きなので、誤字・脱字あると思います! えへ!
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"Psycho Psycho Psychology" Emotion2
冷房がガンガンに効いている。
ジャケットを置いてきて失敗だったかもしれない、と葵は露出した腕の肌をさすりながら思った。蝉が鳴きだし、汗が自然と額ににじむ外からこの建物に入ったときは天国だと感じたが、徐々に寒くなってきた。口元に苦笑を浮かべ、ページをめくり続ける。文字を読む。読んで読んで、読みまくる。雑念など必要ない。ただ目の前にある文字を理解し、取捨選択する。
「本当に熱心ね。そんなに波圭一がお好き?」
ふと声をかけられ、葵は声の主に手を振った。
国立旧式書類保管所本郷分室。
その二階、書類が挟まったファイルでいっぱいな棚が等間隔に並ぶ。その棚の一つに寄りかかり、葵は分厚いファイルの一つを開いていた。その背表紙には「日本心理研究学会広報誌No.24」と書かれている。
向こう側の窓から差し込むシルエットで影になっているが、そこに立っているのは葵をここに招き入れた女性、馨(カオル)である。長い黒髪をもつ美人だ。この国立旧式書類保管所本郷分室で、入館者を管理するパートタイマーだ。一週間前にネットを通じて知り合った。
「いやぁ、もう興奮しちゃってしちゃって。読むのがやめられないよ。ありがとう! 馨さんのおかげだ」
一旦文字から頭を解放して、目の前の会話に集中する。
ボロを出してはいけない。
「本当はいけないんだけどね。まあ誰も読まないし、葵君に読まれるほうがよっぽど有意義だと思うの」
国立旧式書類保管所本郷分室。東京大学のある敷地に併設された施設だ。論文、学会誌など学術的紙媒体が全電子化された今、図書館や大学、各研究施設に置かれているのは電子ジャーナルを読む装置だけだ。重要な学術誌は電子化されたものの、マイナーな学術誌は全国各地にある国立旧式書類保管所に保管というより軟禁されている。科学技術の発展と共に細分化された学問分野は、学術誌をも細分化することとなった。数え切れないほどの学会ができ、学術誌が発行された。そして電子化するにあたって、あまりにマイナーな、関係研究者以外読まないであろう学術誌ははずされたのである。国立旧式書類保管所に入るには正式な手続きがいる。この手続きが一ヶ月ほどかかるのだ。そんなに待っていられないと、葵は裏技に出た。
それが、彼女である。
「馨さんの優しさに乾杯!」
彼女が国立旧式書類保管所本郷分室で働いていることはわかっていた。そこで葵は偶然を装い、彼女に近付いたのである。葛はうまくいくのかと訝しがっていたが、そこは葵の腕の見せ所、見事色仕掛けなどなど様々な策を使って、彼女の気をひくことに成功した。七日間でどんどん親密になる葵と馨の仲を見た葛は、あっけに取られて、最終的には謝罪した。すまなかった、貴様を見くびっていた、と。
「あら、ワインでもおごってくれるの?」
葵はとびきりと気取った笑顔を浮かべた。
「ぜひ。六本木の夜景をセットで」
彼女と仲良くなった葵は、正式な手続きを経ることなく、ここにいるわけだ。
波圭一の所属していた学会の学術誌が見たい、と素直に言って。
波圭一のファンなんだ! と無垢な笑顔で付け加えるのを忘れずに。
「ありがとう。楽しみにしてるわ」
騙しているわけではない。実際、彼女と話していると楽しかった。それに仕事が絡んでいるだけの話。公私混同しているだけの話だ。
馨は再び自分の持ち場に戻っていった。ハイヒールのカツカツと規則的に響く音をカウントダウンに、葵は文字の世界に戻った。
「どうした葛、元気ないな」
昼頃まで惰眠をむさぼり、自室から出てきた葵が見たものはぐったりとリビングのソファーに背を預ける葛だった。頭をかきながら彼の顔をのぞきこむと、彼は少しやつれたように見えた。いつもぴしっと整っている髪もほんの僅かだが乱れている。目を閉じたままの葛は苛立たしげに吐き捨てた。
「駄目だ、全く情報が集まらない」
そういえば葛が自室に戻ったのは3日前。それから一切、葛の姿を見ていなかった。相棒とはいえ、完全に生活リズムを合わせているわけではない。葵一人でできる仕事は一人でやっている。最近葛が食事を作ってくれることがなく、葵は以前のように外食生活をしていたが、それもただ単にタイミングが合わないだけだろうと思っていた。
「・・・・・・まさかお前、3日間部屋にこもって情報収集?」
「他に何をするというんだ」
葵は呆然と、葛を見つめた。
「お前、ちゃんと食事とってたか・・・・・・?」
「たまにはな。嗚呼、完全に意識をあちらに持ちこんでまで探したのに、波圭一の空白期間については何もわからない」
「今何か買ってきてやるからな! ちょっと待ってろ!」
葵は財布をつかむと慌てて部屋を飛び出し、コンビニへ走った。
消化によさそうなものをいくつか買い、部屋に戻った葵は、葛に食べ物を与えて3日間の成果を聞くことにした。基本的に上品な立ち振る舞いをする葛が珍しくがつがつと――一般のそれに比べれば随分優雅なものだが――物を食べるのを見ながら、相当疲れていたんだなと葵は悟った。
食べ終えた葛は比較的人間らしい表情で一息つくと、3日間がいかに無駄なものであったかを語った。最終的には身体のコントロールを捨て、意識全てをネットの世界に集中させて情報を探したというのに、波圭一の論文や、彼について書いた記事を見つけても、姿を消すまでのものだけで、彼が姿を消してからというもの、手がかりは一切ないらしい。意識全てをネットの世界へつぎ込むなど、葵には想像すらできない。どれだけたいへんだったのかわからないが、きっと古典的な刑事がやるように、一日聞き込みを続けるようなものなのだろうと勝手に葵は解釈した。
「それはたいへんだったな」
一応その間に入手した情報を系統立てておいた、と言って葛は大量の紙をテーブルの上に出してきた。その情報量に、葵はげっと体をそらした。これだけの情報を見てきたのか。それは、疲れるに違いない。紙というアナログな媒体を前にして、葵はようやく葛の疲労を理解した。
「3日間も使っておきながら・・・・・・すまない」
全てに目を通す気はさらさらなかったが、申し訳程度に葵は葛の集大成である紙の束を手にした。ずっしり重い。何枚かめくる。ふと、気になることがあって何度か同じ紙に視線を走らせる。それに気付いた葛が、表情をひきしめた。
「どうした」
「これは?」
葛がまとめた、波の所属していた学会一覧と、その情報のページを葵は指差した。それを見た葛の表情が、少しだけ緩む。
「ああ、そのあたりは名ばかりの学会だったようだ。波圭一が研究を発表している様子もない」
それがどうしたと言わんばかりに、葛は無表情を顔に貼り付けた。
「なるほどね。葛、世界は1と0だけじゃないぜ? 情報がないからといって存在しないわけじゃない。ないけどあるってことも、ありえるさ」
「・・・・・・は?」
「ありがとう。この情報が役に立ちそうだ」
「ビンゴッ・・・・・・!」
3日前の葛のやつれた姿が、一瞬だけよみがえる。
誰もいない、ただ存在しているだけに等しい植物状態の書類たちと葵だけの空間。
そこで葵は、思わず指をぱちんと鳴らした。静かな空気に、その軽快な音がよく響く。ここに来てから4時間強。ようやく手がかりとなる情報を見つけ、葵はずるずると体の力を抜いた。ファイルが閉じてしまわないよう、しっかり押さえて。
「あったー・・・・・・本当によかったー・・・・・・」
あれだけ偉そうなことを言っておきながら、自分も何もわかりませんでした、では葛の冷たい視線を浴びることは必須だった。これで何とかなるだろう。
葛が提示した、波の所属していた学会一覧と、その情報。波は数多くの学会に属していたようで、その多くが大きな組織であったが、中には聞いたこともないような学会もあった。もちろん、それらの学会は広報誌、学術誌が電子化されなかったため、ネットに情報はなかった。「日本心理研究学会」もその一つで、分野がマイナーというわけではなく、既に心理学の大きな学会があったため、わざわざこっちに入る人も少なかった、それが理由のようだ。葵が先ほどまで見ていた学術誌に載っている内容も、大体他の電子化されている学術誌に載っているようなものばかりだった。無論、オリジナルは電子化された学術誌のほうである。こんなことがわかった、こんなことがわかったと羅列しているだけである。その中にぽつりぽつりと、学会メンバーのオリジナル発表があるだけだ。
もちろん、波は日本心理研究学会の学術誌に研究を発表していない。波ほどの人物となれば、それがどこの学術誌であろうと、研究が載れば電子化されるだろう。葵が狙っていたのはそれ以外だった。学術誌、広報誌に載る僅かな情報、それが目当てだった。学問的に電子化する価値のない、波の言葉。波の何か。それを探していた。
そして見つけたのは、僅か半ページにも満たない、学会メンバーの近況報告ページだった。あまりに掲載する内容が少なかったためだろう、ページ合わせであるのが見え見えなその企画に、波圭一の名前があった。軽く読むだけでは、ただのエッセイにしか思えないだろう。エッセイが見つかった、それだけでは波の空白期間を埋めることにはならない。
だが、その、「日本心理研究学会学術誌No.36」の波圭一の文章には、ある魚の名前があった。
それは、天然記念物かつ絶滅危惧種に指定されている、日本のとある地域にしか生息しない種であった。
波はそのエッセイでこう記していた。「自分もその魚を見てみたい」と。
学術誌No.36が発行されたのは、波が姿を消す僅か2週間前のことであった。
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